「親が喜んでくれるから(その2)」 (←前回のお話)
生まれてから高校卒業するまでの18年間
自分軸ではなく宗教軸の熱烈信者の親元で暮らす娘は、どんどん息苦しくなっていく。
(小さい頃から、みんな違ってみんな良いんじゃないのって思っていたので、強要されることにむちゃくちゃ反発があった)
「この信仰から離れると幸せになれない」
悪いことがあると「信心していないお前は、だから駄目なんだ」
いいことがあっても「これを信じているからだ」
何にでも宗教軸の家族の中で育つと
それは、恐ろしい呪文となって
心にすり込まれている。
自分軸がまずは基本でしょ。と思ってる子供は、卒業と同時に家をでた。
ほっとした。
しかし
呪文は染みついている。
うまくいっていても
「信心していないからいつか壊れる」
うまくいってなくても
「信心していないからだ」
それは
それは
この年になってまで後生大事に
すりこまれた思い込みだ。自分の顕在化している意識ではいくら否定していても
潜在意識のなかで
「親のいうことを聞けない私は、駄目なのだ」「親から愛されたいのに、親が信じている宗教を信じ切れない自分は愛されない」
というインストール。
私は、どんなけ親に愛されたかったのか。
それもびっくりしたけど。
先月の中旬から
父との間で起こった出来事の中で
ここにきて、ようやく父に
「貴方たちがやっている宗教と団体が大嫌い」
「宗教軸で判断される自分がとても苦しかった」
「どんな私でも、無条件で愛して欲しかったんだ。」
「助けて」と初めて言葉にすることができた。
父からは、ナンの反応もない。
これまでは、母と私の問題だと思っていたことが
母が亡くなってから
実は、理解者だと想っていた父との関係にも
とても問題があること
ラスボスは、二人の信じていた宗教や団体。
父の小さい頃の境遇を考えると
彼自身「助けて」と言えなかった。
どんな彼でも愛してくれる人はいなかった。
そんな境遇の中で育っていたことがわかる。
母もそうだ。田舎の長女で生まれ
自分の自由は限られ
父と駆け落ちしたさきに待っていたのは
貧困であり、生きにくさ。
軸になる自分とは向き合わず
その時に二人が出会った宗教が軸になっていく。
それを子供によかれと思って強要していく。
善意の強要は、手に負えない。
本人たちは、それが良いことだと想っているから。