暮れに倒れた父と、いまの選択

脳梗塞で要介護5になった父

父のQOLを考える。

どちらを選んでも、正解はないのだろうと思う。
そうわかっていながらも、目の前の父の様子を見ていると、
どうしても考えずにはいられない。

もともと、胃ろうには反対だった。
そこまでして、生きる意味があるのか、と。

口から食べられなくなった時点で、
もうその人らしい生き方は終わっているのではないか。
どこかで、そんなふうに思っている。

けれど、いま目の前にいる父は、
確かに、まだ「いる」。

目をあけて、こちらを見て、
声をかければ、なにかを感じ取っているような気がする。

その姿を前にして、
以前のように、きっぱりとは言えなくなった。

せん妄も出てきていて、
会話としてのやりとりは難しい。
けれど、それでも、伝わるものはあるような気がする。

特養に入ってから、
ケアしてくださる皆さんにお世話になって、
父の顔色はよく、表情もどこか明るく見えるのは、確かだ。

鼻からの管は、やはりしんどそうに見える。
見ているこちらがそう思うのだから、
本人は、どれほどの違和感を抱えているのだろう。

経管でも食べられない。
胃ろうでも食べられない。

ならば――

喉に違和感があるこの状態を、外してあげられたら。

ただそれだけでも、
父は、少し楽になるのではないかと思う。

そう考えたとき、
胃ろうという選択は、
命を延ばすためだけのものではなく、
苦しさを減らすための方法のひとつにも見えてきた。

どちらを選んでも、正解はないのだと思う。
それでも、ひとつだけ、はっきりしていることがある。

残りの時間を、できるだけ心地よく過ごしてほしい。

その思いだけを頼りに、
わたしは、いまも答えを探している。

明日は、消化器科の先生と今後の相談。

まずは、手術に耐えられる体力がなければね。

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とし

歌ったり、書いたり。
日々のなかで見つけた小さな灯りを
ここにそっと置いています。

うれしい日も、
ちょっとイガイガする日もあるけれど、
それもぜんぶ、旅の途中やと思っています。

ふつうの日は会社員。
ときどき歌い、ときどき書いています。

音楽ユニット 歳巫女、
バンド コネコネ、OHAGI、タピオカ83
アコースティックの アテーズでも
音楽を楽しんでいます。
(ブログさぼって全部は、書ききれてへんけどな)

愛犬ノノと、保護猫オレオと暮らしながら、
旅の途中で見つけた小さな出来事を
「いまここ庵」に綴っています。

よかったら、ゆっくりしてってな。

庵主 とし
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