病気しらずやったのにな
八十七歳の父が、倒れた。
倒れてからいまも、面会謝絶で
この先もそれがいつ解除されるのかも
わからない。
倒れるその瞬間まで、
地域の温泉施設で、清掃や、雑務的なことを
仕事にしていた。
大きなことはせんかったけれど
毎日の中の「やるべきこと」を
淡々と続けていた人やった。
昔、料理人やった父は、
身の回りのこともコマコマと立ち回れて
十年前に母が旅立ったあとも、
自分のことは自分でやれる人やった。
暮らしをまわす手つきだけは
派手さはないけれど、
最後まで崩れへんかった。
年の瀬になると、
大掃除だの、年賀状だの、
そんな言葉がそこかしこに転がっている。
けれど今年は、
わたしの時間だけ、少し立ち止まっている。
父が倒れてから、
言葉が、うまく外に出ていかなくなった。
心配してほしいような、
そっとしておいてほしいような、
どちらとも言えない気持ちを抱えたまま、
日々をやり過ごしている。
病状が回復することはない。
意識が戻ってくるかどうかも、わからない。
これからどうなるのか、
なにを選ぶことになるのか、
なにもかも、わからないことだらけや。
今の治療は、
どれもきっと、父にはしんどいだろうな
そんなふうに思ってしまう。
するとふと
母が迎えに来てくれたらいいな
などという考えが、胸に浮かぶ。
それは、あきらめではなくて、
苦しませたくない、という
娘なりの祈りのかたちやと思っている。
とはいえ、現実は現実で、
今なにかあっても、
年末年始で新幹線はとれず
すぐに帰れる足がない。
間に合わないかもしれない
立ち会えないかもしれない
そんな可能性が
小さな石のように胸の底に沈んでいく。
けれど、ありがたいことに
妹家族が病院から車で一時間ほどのところにいて
いろいろな手続きや、病院との打ち合わせを
引き受けてくれている。
その存在に、どれほど助けられているか
言葉にならない感謝の気持ちでいっぱいだ。
わたしの願いが叶うかどうかは、
もう、わたしの手の外にある。
だから今日は、
願いを願いのまま、そっと置いておく。
強がらず、急がず、
できるだけ普通に、
年の瀬の台所に立ちながら。
そんな祈りの時間があっても、
ええんやと思っている。
わかっていることは
小さい頃から大好物
帰省する度に
作ってもらった
あの美味しいオムライスも
だし巻き卵も
絶品焼き飯も
もう、食べられないということ。

