小猿の卒業式は 3/17。
奇しくもやっちゃん、あなたの月命日の日です。
私が35歳、子供たちがそれぞれ6歳、1歳の時
あなたは、バツイチ34歳。
当時結婚式のMCと式場のキャプテンの二人。一緒に披露宴を作り上げてく仕事仲間から数年たって、お付き合いが始まり、新しく家族を作ろう、柄にもないけどこの歌をプレゼントするよ、「ライオンハート」とともにプロポーズしてくれた。
2/14の家族顔合わせ予定の時、
少し具合が悪いからと
体調が良くなってから
改めてみんなでご飯を食べようね。
っていった3日後の2/17にあなたは
虹の橋を渡った。急性心不全。
これまであったものが突然、忽然と姿を消してしまった。
どんなに泣いて貴方の名前を呼んでも応えはかえってこなかった。
オイテイカレタ。約束したのに。
イナクナッテシマッタ。
お互いに失敗してるから、子供たちと一緒に、最高の家族を作ろうって話してたのに。
まさかの絶頂期にだよ。
その後の1〜2年くらいの記憶があやふや。
とにかく友人たちに、子育てもわたしのことも助けてもらった。
徐々に元気になっても、突然おこる過呼吸とPTSDに何度もくじけそうになった。自分の大切なものが、なにもかも、すべてが突然、忽然と無くなってしまう恐怖。
そんな事をしても何の意味もないことわかっていても、何度も後を追いたくなったことを覚えている。
でもそのたびに、子供たちが、友達が私に力をくれた。生活は少しずつ落ち着きを取り戻していくけれど、突然襲ってくる虚無感の落とし穴は、頻度は少なくなってきてもまだ続いていた。
子供と仕事と生活と、とにかく、すべて自分でなんとかしなくちゃ。
ずーっと何かと戦っている状態。
時がたち、チーママは、無事独立したけれど、
中学の夏から、小猿の不登校がはじまった。
仕事と学校と専門のカウンセラーと
駆けずり回って、解決しなくては、の日々。
「ねばならぬ」と動いてたときは
何も発展していかなかった。
煮詰まっていく中、気分転換できればとFBの繋がりから、思いかけず、音楽活動を再開して、山に登りはじめ、自然に触れ、自分の好きなことを始めた。
そこから、いろんなことが変わっていった。広がっていった。
見てたよね。
小猿は、中学校には行けなかったけれど
自分のスタイルに合った寺子屋のようなフリースクールに、通いはじめ、その仲間とバンド活動を初めた。ドラムを叩くようになっていった。
その仲間と先生から、刺激を受けて自分の将来を自分で模索しはじめた。
昨日卒業した学校も、たくさん学校見学して、自分で選んだ都立チャレンジ高校だ。
将来の夢は、幼児教育関係、保育士、子供向けのカウンセラー。
自分が一番苦しかった経験を活かしたいと考えてるよう。
やっちゃん、
貴方が生きていたら
私も子供たちも
このそれぞれの道を歩いては、いなかった。
あなたと最高の家族を作ることは
できなかったけれど
いま、私たち家族は、何気ない日常にとても幸せを感じているよ。
再開した音楽活動で縁があった相方とも一昨年再婚したよ。
全部知ってるよね。
相変わらずトシらしいね、て笑ってくれてる様な気がする。
昨日ね、卒業式おわって
家に帰ったとき
一人でふーっと椅子に座った途端
とても貴方の存在を近くに感じたんだ。
「おつかれさん。よく頑張ったな」って声が聞こえたような気がしたんだ。
「今の相方と良い家族を作っていきなよ」
って。
「ずーっと見守っていたよ。」
「これからも見守るよ。」
「とりあえず一つの区切りだね。としも小猿もおめでとう」
って。
やっちゃん。
今までこの人生を生ききろう、それがわたしのできることだ。っておもってたんだけどね。
昨日ね、ちょっとかわったの。
自分を生ききることは、変わらないけど
家族をはじめ、出会ってる人も、これから出会う人もみんなで生き合っていこう。
そんな風に変わってきたよ。
人は一人として同じ価値観の人はいない。
ちがいがあるから、大切なんだって。
172人の卒業生たちを見ていて
一人一人にドラマがある、輝く魂があるって感じたら、なお一層、人が愛しい存在だと感じたよ。
そこにいた親御さんたちにも同様にね。
なんだか
まとまりつかなくなっちゃったけど、
やっちゃんと出会えたこと。
一緒に仕事できたこと。
短かかったけど付き合えたこと。
私にたくさんの感情を教えてくれたこと気づかせてくれたこと。
肉体はないけれど
そばにいてくれること。
(気がつけない期間が長かったけれど)
改めてお礼を言いたかったんだ。
まだそちらへはいけませんが
貴方が大好きだといってくれた
「笑顔」とともに
私が、今ここにいるのは
やっちゃんのおかげです。
やっちゃん
18年間見守ってくれて
ありがとう。