人とたき火の暖かさを感じながら
チーママんち向かう。
彼女は昨年の12月で25歳
シングルマザー歴の長かった私。
彼女は小さい頃から
働く母のサポーターとして
否応なしに小さいお母さんとして
活動していかなければならなかった。
ゆえに「チーママ」
6歳違う弟のお迎えから、面倒見から彼女なしでは、長年、正社員として社会人生活を送ることはできなかった。
弟は可愛くて面倒。嫌な時代もあったけど
成長するにつれますます
弟大好き姉となっている。
弟も同じ。ウルサイと思っているときもあったけれど
姉大好き弟。
で、ようやく新居に弟が遊びに来る、めちゃくちゃ嬉しいチーママは、いろんな準備をしてくれていた。
まずは、昔よく作ってくれていたお菓子づくり
リンゴをピーラーで薄くして一つ一つ丁寧にバラの形に整えていく。
リンゴのコンポートも。ヨーグルトにかけて食べてね。用意されていた。
何よりも訪ねてきた二人がゆっくりできるように「座っててー」と
シャカシャカ動いてくれる。
晩御飯はそんなお礼もかねてこちらが用意したが
久しぶり姉弟、親子そろっての食事がとても嬉しい。
普段口重の小猿も
おねえちゃんにかかると
喋る喋る。楽しそうだ。
で、ひょんなことから
合格祝いの宴が
いつが一番きつかった、今だから言える告白大会になった。
母の仕事、生活環境の変化から引っ越しも多かった親子。
①埼玉公団時代、娘保育園〜小学全部、息子誕生から保育園。再婚予定の彼の急死。
②(母高額オファーにつられ心機一転仕事を変えるが、どブラック企業。その後退社)二子玉川時代、娘中学全部、息子小学1〜3年
③調布時代、娘高校全部、息子小学4年から卒業。
④田無時代、娘美容師見習い1年目の途中から北野へ独り暮らし、息子中学全部(1年夏休み明けから卒業まで不登校)
⑤トカイナカ高幡不動、身体壊し事務員転換した娘同居→その後娘独立、息子高校全部、母再婚。現在。
娘は、②と③
息子は④
がきつかったと話す。
それぞれ覚えている記憶も違う。
姉弟間の記憶もちがえば
それぞれの親子、家族となったときの記憶違う。
例えば
姉は弟にたいして
小さかったとき弟から「おねえちゃんと手を繋がなければ寝れない」と懇願されたが
めんどくさいと思った姉は
「そんなのやだ」と拒否。その時のことを今も後悔しているという。
弟は一切覚えておらず。(というかあまりにも傷ついて封印したか)
弟は姉に、ヤダヤダ時期に反抗してわざと言うことを聞かない事件を話すが姉にはその記憶がない。
母に対しても同様
私が取った行動で傷ついたことや嬉しかったことを話してくれるが
私が覚えていない。
で私が記憶していることを彼らは覚えていない。
どんなんやねん!!
どないやねん!!
こんなにも
お互いに覚えてることが違うって、
凄すぎる。それでも繋がる親子。
で、その晩は、それをお互いに打ち明けあって、ごめん、ありがとうを相手に伝えあう時間にもなった。
そばで聞いていたチーママ彼氏が一言
「俺って小さい頃、なんもなく育って暮らしてたんだなー」
そこで総ツッコミ
「いやいやいや、あるんだよ。今覚えてないけど、大丈夫な振りしてふたしていることが」
で大笑い。
このやっかいだけど愛しい家族。
昨年、冷戦状態になった父ともいつか笑いあえる時がくるなーと思った時間だった。
たくましく育った子供たち
オカンの子に産まれてきてくれておおきにありがとお。
一昨年、オカン親子と家族になってくれた相方にもおおきにありがとお。
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